DXの目的は人をデジタルから解放することではないか

地域社会DXは、人を画面へつなぎ続けるためのものではない。行政手続、電子地域通貨、健康アプリなどを手がかりに、利用時間ではなく人へ返した時間を測る「解放量」と、退場できる公共サービスの設計を考察します。

人をデジタルへ、
つなぎ続けないDX。

CIO補佐官として考える、デジタルデトックスと「つながらない地域社会」の設計

「私たちの生が短いのではありません。私たち自身がそれを短くしているのです。与えられた日々が少ないのではなく、私たちがそれを浪費しているのです。」
――セネカ『生の短さについて』より、筆者訳
見取り図

01 はじめに――DXを推進している私が、なぜ脱デジタルを考えるのか

私は、地域社会DXを推進する仕事に関わっています。自治体のCIO補佐官として、電子地域通貨、健康アプリ、行政ポイント、地域交通、データ分析、オンラインサービスなどに携わってきました。デジタル技術によって、それまで見えなかった地域の動きが見えるようになり、紙や手作業に追われていた業務が改善され、住民へ新しいサービスを届けられるようになる場面も見てきました。

大量のデータを短時間で分析できれば、経験や印象だけでは見えなかった地域の実態を把握できます。窓口へ行かなければできなかった手続きをオンライン化すれば、仕事や介護、育児などの事情によって開庁時間に来庁できない人もサービスを利用できます。電子地域通貨や行政ポイントを活用すれば、紙の商品券よりも迅速に施策を実施し、その利用状況を検証できる可能性もあります。デジタル技術が、人の生活を助けることを私は知っています。だから私は、スマートフォンのない時代へ戻りたいわけではありません。行政手続きをすべて紙へ戻したいわけでもなければ、データを使わず、経験と勘だけで政策や事業を運営することが望ましいとも思いません。

それでも、DXを推進すればするほど、私の中に一つの疑問が生まれます。私たちは、住民の生活を便利にするためにデジタルを導入しているはずです。しかし、いつの間にか、アプリの登録者を増やすこと、利用回数を増やすこと、通知を開いてもらうこと、データを提供してもらうこと自体が目的になってはいないでしょうか。自治体がアプリを導入すると、ダウンロード数や登録者数が成果として報告されます。利用者が少なければ、周知が足りないと評価されます。通知の開封率が低ければ、もっと頻繁に情報を送り、より目立つ表示によって画面を開いてもらおうという話になります。

こうした指標は、サービスの状況を確認するために必要です。しかし、登録者数や利用頻度が増えたことと、住民の生活が豊かになったことは同じではありません。民間の広告型サービスであれば、利用者が画面を見る時間や接触回数を増やすことが、収益につながる場合があります。しかし、行政や地域社会が提供するデジタルサービスまで、利用者の注意を奪い合う競争へ参加する必要があるのでしょうか。

本当に優れたデジタルサービスとは、人を画面へ長時間引き留めるものではなく、必要な用事を短時間で終わらせ、人間を現実の生活へ戻すものではないでしょうか。デジタル庁は、「誰一人取り残されない、人に優しいデジタル化」をミッションに掲げ、ユーザー中心のサービスを提供することを行動の軸にしています。また、自治体窓口DXでは、「書かない、待たない、回らない、ワンストップ窓口」の実現が掲げられています。これらは、住民全員を一律にオンラインへ移すことではなく、デジタルと業務改革によって、住民と職員の負担そのものを減らそうとする考え方だと読めます。

この理念を突き詰めて考えるなら、人に優しいデジタル化とは、デジタルサービスを使わせる時間を最大化することではありません。デジタルの恩恵を受けながら、画面を見なくてもよい時間を増やすことではないかと思います。

これは、DXを外側から批判する文章ではありません。デジタル化を推進する側にいる私自身が、自分たちの仕事は誰の時間を増やし、誰の注意を奪い、誰へ新しい負担を移しているのかを問い直すための文章です。

ADMINISTRATION 行政手続き

必要な手続きを迷わず短時間で終え、生活へ戻れることを目指す。

LOCAL PAYMENT 電子地域通貨

決済の瞬間だけ開き、結果を確認したら店員や同行者との会話へ戻る。

HEALTH 健康アプリ

画面を見続けさせず、端末をポケットへ入れて外を歩くための補助装置にする。

地域社会DXの目的は、人をデジタルへ接続し続けることではありません。
人がデジタルを忘れて暮らせる時間を、増やすことではないでしょうか。

02 事実と仮説、価値判断を分けて考える

FACT確認できる事実

研究、公的資料、制度、既存の設計原則から確認できる範囲。

HYPOTHESIS検証すべき仮説

「解放量」や「退場できるデザイン」など、地域社会DXへ接続した提案。

VALUE筆者の価値判断

人の注意を奪わず、使わない人も排除しない地域をつくりたいという選択。

本稿には、三つの種類の記述が含まれています。一つは、研究や公的資料によって確認できる事実です。デジタルデトックスの心理的影響、ウェブアクセシビリティ、つながらない権利、ダークパターン、行政窓口DXなどについては、既存の研究や公的機関の資料を参照します。二つ目は、それらを地域社会DXへ接続して考えた仮説です。

行政DXの成果を、登録者数や利用頻度ではなく、人へ返した時間によって測れないか。公共アプリに、人を画面へ引き留めず、用事が済んだら退出させる設計を組み込めないか。地域の情報をすべて即時配信するのではなく、内容に応じて異なる速度で流せないか。これらは、現時点で確立した政策理論ではありません。本稿における提案です。三つ目は、私自身の価値判断です。

人の注意を奪うことを、行政サービスの成果にしたくありません。デジタルを使わない人を、遅れた人として扱いたくありません。効率化によって生まれた時間を、さらに仕事や通知で埋めるのではなく、人が考え、休み、話すための時間として残したいと思っています。事実を仮説のように語らず、仮説を事実であるかのように語らない。そして、価値判断を中立的な技術論に見せかけない。その区別を保ちながら、地域社会DXの次の形を考えてみます。

PART 01

セネカ――私たちは誰に時間を明け渡しているのか

01 人生が短いのではなく、細切れにされている

セネカの『生の短さについて』が現代にも強く響くのは、人生の長さそのものではなく、その時間を誰に、何に、どのように明け渡しているのかを問いかけているからです。セネカが生きた古代ローマには、スマートフォンもSNSもありませんでした。電子メールもチャットも、二十四時間いつでも情報が流れ込んでくるニュースアプリも存在しませんでした。それでも人間は、自分の時間を、他人の要求、社会的な競争、虚栄、娯楽、終わりのない忙しさへ明け渡していました。財産を奪われることには敏感でありながら、自分の人生の時間を他者へ渡すことには、驚くほど無防備でした。

この問いが現代にも刺さるのは、技術が変化しても、人間が自分の時間を何かへ明け渡してしまう構造は変わっていないからです。ただし、現代における時間の浪費には、セネカの時代とは異なる特徴があります。時間が、一度に大きく奪われるとは限りません。

通知を確認する十秒。返信を考える一分。ニュースの見出しを追う三分。動画を一本だけ見るつもりだった五分。ポイントの有効期限を確認する一分。アプリを更新し、ログインし直し、パスワードを再設定する数分。それぞれは、人生を左右するほど大きな時間には見えません。しかし、その小さな中断が一日の中で何度も繰り返されます。文章を読んでいる途中で通知が鳴り、仕事へ集中し始めた瞬間に別の連絡が入り、家族や友人と話している最中にも端末が振動します。

ここで失われるのは、通知を確認した数十秒だけではありません。中断される前に持っていた集中、思考の流れ、目の前の人への関心、自分の内側に留まるための静かな時間も失われます。現代の問題は、単純にスマートフォンを使う総時間が長いことだけではありません。

人生の時間が、他人やシステムからの呼びかけによって、絶えず細切れにされることにあります。しかも、その呼びかけの多くは緊急ではありません。今すぐ確認しなくてもよい情報が、「今確認すべき情報」の形で届きます。返信を求めていないメッセージであっても、未読の数字が表示されるだけで、何かを残しているような感覚が生まれます。

スマートフォンの画面には、家族からの連絡、仕事上の依頼、企業の広告、災害情報、娯楽、ニュース、行政からのお知らせが、ほとんど同じ通知の形で並びます。私たちは、その一つ一つについて、今見るべきか、後でよいのか、自分に必要なのかを判断し続けなければなりません。時間を直接奪われるだけではなく、注意の配分を絶えず判断する負担を課されているのです。

02 デジタルデトックスを万能薬にしない

こうした問題への対応として、「デジタルデトックス」という言葉が広く使われるようになりました。一定期間スマートフォンを使わない、SNSから離れる、通知を切る、寝室へ端末を持ち込まないといった実践です。デジタルデトックスには、一定の効果が確認された研究があります。2022年に公表された無作為化比較試験では、154人の参加者を対象に、一週間SNSの利用を休止する群と、通常どおり利用する群を比較しています。その結果、休止した群では、ウェルビーイング、抑うつ、不安の指標に改善が確認されました。

一方で、研究結果は一様ではありません。2024年に公表されたシステマティックレビューとメタ分析では、対象となった十件の研究を統合した結果、デジタルデトックスには抑うつ症状を軽減する統計的な効果が確認されたものの、生活満足度、ストレス、精神的ウェルビーイングについては、統計的に明確な効果が確認されませんでした。研究者らも、デジタルデトックスの影響は、精神的健康の側面によって異なると結論付けています。つまり、スマートフォンやSNSから離れれば、誰もが自動的に幸福になるわけではありません。

デジタル空間を通じて孤独を和らげている人もいます。遠方の家族や友人とつながっている人もいます。身体的な事情によって外出が難しく、オンライン上の関係が重要な社会参加になっている人もいます。デジタルは、人を疲れさせることもあれば、人を孤立から救うこともあります。必要なのは、「デジタルは悪いからやめましょう」という単純な結論ではありません。

重要なのは、本人が使いたいから使っているのか、使わなければ仕事や生活、地域社会へ参加できないから使っているのかという違いです。自分の意思で動画を見たり、友人と話したりする時間と、仕事や制度の都合によって通知や操作へ追われる時間を、すべて同じ「スクリーンタイム」として扱うこともできません。デジタルデトックスを、個人の意志の強さだけに任せるべきでもありません。

勤務時間外にも仕事の連絡が届きます。学校や地域団体の連絡が特定のアプリに集約されます。買物の割引や行政からの施策がアプリを前提とします。予約、決済、本人確認、交通、情報収集が、すべてスマートフォンへ統合されます。この状態で、「端末を見ない時間をつくりましょう」と個人へ求めても、本人は安心してデジタルから離れられません。離れている間に重要な連絡を見逃すかもしれない。返事が遅い人だと思われるかもしれない。割引やサービスを受け損なうかもしれない。仕事や地域の話題についていけなくなるかもしれない。

デジタルデトックスは、個人の生活習慣の問題であると同時に、組織と社会の設計問題でもあります。

PART 02

ベルクソン――短縮された時間は、本当に人へ返っているか

「時間の本性を深く研究するほど、持続とは発明であり、形態の創造であり、絶対的に新しいものの絶え間ない形成であることが分かります。」
――アンリ・ベルクソン『創造的進化』より、筆者訳

01 時計で測る時間と、人間が生きる時間

アンリ・ベルクソンは、人間が実際に経験する時間を、時計によって均等に区切られる時間とは異なるものとして考えました。時計の上では、一分は常に一分です。しかし、人間の経験において、一分は同じ一分ではありません。

退屈な会議の一分。大切な人からの連絡を待つ一分。好きな本を読んでいる一分。病院の検査結果を待つ一分。通知を確認し続ける一分。目の前の人と静かに話す一分。時計は、それらをすべて同じ六十秒として扱います。しかし、人間が内側から経験する時間には濃淡があります。現在の感情と過去の記憶が重なり、一つの経験が次の経験へ溶け込んでいきます。

ベルクソンは、この生きられる時間を「持続」として捉えました。時間は、同じ大きさの箱が順番に並んでいるものではありません。過去を引き受けながら変化し、新しいものが生まれ続ける流れです。この視点からDXを考えると、行政や企業が測定している時間と、人間が実際に取り戻した時間は、必ずしも同じではないことが分かります。オンライン申請によって、窓口での待ち時間が三十分短くなったとします。それ自体は重要な成果です。

しかし、その申請のために新しいアカウントを作り、本人確認アプリを導入し、暗証番号を探し、操作方法を調べ、エラーの理由が分からないまま何度も入力し直したのであれば、本当に時間が短縮されたと言えるでしょうか。職員の入力作業を一時間削減したとしても、その代わりに新しいシステムの確認、チャットへの返信、複数のダッシュボードの更新、アカウントの管理が増えれば、職員が落ち着いて住民の話を聞く時間は増えていないかもしれません。デジタル化によって削減した作業時間が、別のデジタル作業によって埋められていることがあります。

時計上では短縮されていても、人間の時間は返されていません。

02 「利用された時間」ではなく「返した時間」を測る

01入力

同じ情報を何度書かずに済んだか。

02移動

窓口や部署を何か所回らずに済んだか。

03待機

順番待ちや処理待ちをどれだけ減らしたか。

04検索

必要な情報へ迷わず到達できたか。

05通知

不要な呼びかけや確認を減らせたか。

06余白

考え、話し、休む時間を本人へ残せたか。

デジタルサービスの評価では、利用者数、利用率、アクセス数、利用頻度、通知の開封率などが使われます。これらは、サービスが住民へ届いているか、利用上の問題がないかを確認するために必要な指標です。しかし、これらはすべて、システム側から見た数字でもあります。

何人が登録したか。何回アクセスしたか。何件のデータが集まったか。住民がそのサービスによって、どれだけ楽になったかとは別の数字です。地域社会DXでは、これらに加えて、住民や職員へどれだけの時間を返せたかを測る必要があるのではないでしょうか。

窓口で書類を書く時間を何分減らしたのか。同じ情報を何度も記入する回数を何回減らしたのか。一つの手続きのために回る部署をいくつ減らしたのか。職員が転記や照合に費やす時間を何時間減らしたのか。さらに、通知をどれだけ増やしたかではなく、不要な通知をどれだけ減らしたか。アプリをいくつ導入したかではなく、住民が管理しなければならないアカウントをいくつ減らしたか。情報をどれだけ発信したかではなく、住民が必要な情報へ迷わず到達できるようになったかを考える必要があります。成果とは、人をデジタルへ長く滞在させたことではありません。

デジタル上の用事を早く終わらせ、その後の時間を本人へ返したことです。電子地域通貨であれば、アプリの滞在時間を伸ばすことが目的ではありません。決済を数秒で終え、利用者が端末をしまって、店員や一緒にいる人との会話へ戻れる方が望ましいはずです。健康アプリであれば、毎日何度も画面を開かせることより、スマートフォンをポケットへ入れたまま外を歩く人が増える方が、本来の目的に近いでしょう。

行政手続きであれば、アプリを繰り返し操作してもらうことより、年に一度の手続きを迷わず終えられる方がよいはずです。行政サービスは、日常的に長時間使われなければ価値がないサービスではありません。そもそも、行政手続きを行わなければならない回数自体が少なくなる方が、住民にとって望ましい場合もあります。私は、地域社会DXにおいて、従来の利用率や処理件数とは別に、「解放量」という考え方を持てないかと思っています。

解放量とは、単純な時間短縮だけではありません。入力、移動、確認、待機、検索、判断、再操作などから、住民や職員がどれだけ解放されたかを捉える考え方です。五分を短縮したとしても、その五分の間に別の通知への対応を求めるなら、解放したとは言えません。作業を自動化しても、職員へさらに多くの案件を詰め込むだけなら、職員の時間を返したことにはなりません。

DXによって生まれた余白を、別の業務でただちに埋めるのではなく、人が考え、話し、休み、判断するための時間として残すことが重要です。

03 効率化によって失われる時間もある

DXは、反復作業を減らし、処理を速めます。それは大きな価値です。しかし、人間の生活において、速ければ速いほどよいとは限りません。

窓口での会話が、単なる非効率として消されることがあります。職員が住民の話を聞き、本人がまだ言葉にできていない困りごとに気づく時間も、「処理時間」として削減される可能性があります。地域の店で、支払いの際に交わされていた短い会話が、完全な無人決済によってなくなるかもしれません。健康に関する相談がアプリの数値入力だけに置き換われば、数字に表れない生活の変化が見えなくなることもあります。

もちろん、すべての待ち時間や会話を残すべきだという話ではありません。不要な手続きや行列は減らした方がよいでしょう。同じ情報を何度も書かせる必要もありません。職員が単純な転記作業へ追われているなら、自動化すべきです。ただし、削減する時間と、守るべき時間を区別しなければなりません。

人間が苦痛に感じる待ち時間と、人間関係が育つ余白は同じではありません。DXは、時間を短縮する技術であると同時に、どの時間を削り、どの時間を人間のために残すのかを選ぶ技術でもあります。

PART 03

ソローとイリイチ――人間は道具の主人でいられるか

「私たちが鉄道に乗っているのではありません。鉄道が私たちに乗っているのです。」
――ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『ウォールデン』より、筆者訳
「人々には、自分たちとともに働く道具が必要です。自分たちのために“働く”道具ではありません。」
――イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』より、筆者訳

01 便利な道具が、生活の前提になるとき

ソローが『ウォールデン』を書いた十九世紀半ば、鉄道は社会を大きく変える新しい技術でした。人や物を、それまでより速く遠くへ運ぶことができます。地域同士が結ばれ、経済活動が広がり、生活の可能性が増えます。ソローが疑ったのは、技術そのものではありません。

人間が鉄道を利用しているつもりで、いつの間にか鉄道を維持し、拡大するために生活を差し出しているという逆転です。この問いは、そのままスマートフォンへ置き換えられます。私たちはスマートフォンを使っています。

連絡を取り、情報を調べ、支払いをし、写真を撮り、仕事をします。しかし、その利便性を維持するために、私たちは何を差し出しているのでしょうか。頻繁な通知へ反応する時間、新しい端末を買い替える費用、パスワードやアカウントを管理する労力、サービスごとに異なる操作を覚える負担、自分の行動や関心に関するデータ、そして目の前の現実から画面へ移される注意です。

道具は、最初は本人の目的を達成するために使われます。しかし、道具が生活の入口になり、その道具を使わない人が社会参加できなくなったとき、関係が逆転します。住民がサービスを利用するためにアプリを使うのではなく、アプリを利用させるためにサービスが設計されます。

地域を便利にするためにデータを集めるのではなく、データを集め続けるために、新しい機能や施策が追加されます。デジタルサービスを運営するために、住民と職員が絶えず入力、更新、確認を求められます。そこまで進めば、私たちがデジタルへ乗っているのか、デジタルが私たちの生活へ乗っているのかは分かりません。

02 アプリが増えるほど便利になるとは限らない

地域課題を発見すると、私たちは新しいアプリやシステムを導入したくなります。健康づくりには健康アプリ、買物支援には地域通貨アプリ、交通には予約アプリ、防災には防災アプリ、子育てには子育てアプリ、観光には観光アプリを導入します。それぞれの事業を個別に見れば、合理的な判断です。

しかし、住民の生活は事業ごとに分かれていません。一人の住民が、健康、買物、交通、防災、子育て、行政手続きのすべてに関わります。

だから、DXを評価するときには、新しいサービス単体の利便性だけではなく、住民の生活全体にどれだけのデジタル負担が存在するのかを見る必要があります。新しいアプリを導入する前に、既存のサービスへ統合できないかを考えるべきです。そもそも、アプリでなければならないのかも考える必要があります。ウェブページ、カード、電話、対面などによって、より簡単に実現できることもあります。システムを新しくつくるより、制度や業務の流れそのものを見直す方が効果的な場合もあります。

アプリを導入したことは分かりやすい成果になります。画面を見せれば説明でき、予算執行の結果としても形が残ります。一方で、導入しない判断は成果として見えにくいものです。しかし、住民へ新しい操作や管理を求めずに課題を解決できるなら、導入しないことの方が高度なDXである場合もあります。

01事業ごとの合理性と、生活全体の不合理

運営側には一つのアプリでも、住民側には健康、買物、交通、防災、子育て、行政手続きのサービスが累積する。

02管理し続ける作業

利用登録、本人確認、パスワード、通知設定、利用規約、更新、機種変更時の再設定が発生する。

03認知的な入場料

一つ一つは小さくても、既存の負担へ重なり、地域社会へ参加するための認知的な入場料になる。

03 認知的入場料は、誰にとっても同じ重さではない

01時間の負担

登録、本人確認、更新、再設定、問い合わせに使う時間は、仕事・育児・介護で余裕のない人ほど重くなる。

02理解と操作の負担

小さな文字、複雑な画面遷移、文字入力、パスワード管理は、認知・学習上の特性や身体状況によって大きな障壁になる。

03つながらないための条件

代替手段、相談相手、勤務時間外に反応しなくても不利益を受けない環境がなければ、人は安心して接続を切れない。

認知的な入場料は、すべての人へ同じ重さで課されるわけではありません。時間に余裕があり、新しい端末を購入でき、複数のサービスを整理する知識があり、困ったときに相談できる人にとって、新しいアプリの導入は小さな負担かもしれません。しかし、仕事、育児、介護によって時間的な余裕を失っている人にとっては、一つの登録作業も後回しにせざるを得ない負担になります。

小さな文字を読むことが難しい人、複数の画面遷移を記憶することが難しい人、文字入力や本人確認に強い不安を感じる人にとっては、操作の一段階ごとに大きな負担が生じます。W3Cのウェブアクセシビリティ資料は、視覚や聴覚、身体だけでなく、認知や神経に関する障害も含め、利用者がウェブを知覚し、理解し、操作し、参加できるよう設計するものだと説明しています。分かりにくい指示や不適切な操作設計は、認知・学習上の特性を持つ人をウェブから排除する障壁になり得ます。デジタルデトックスについても、誰もが同じように実践できるわけではありません。

通知を切り、週末にはスマートフォンを置き、自然の中で静かに過ごすことができる人には、一定の時間的、経済的、社会的な余裕があります。勤務時間外の連絡へ応じなくても評価が下がらない。家族や地域の重要な連絡を別の方法でも受け取れる。買物や交通、行政サービスをアプリだけに依存していない。端末を使えないときには、助けてくれる人や代替手段がある。そうした条件があって初めて、人は安心して接続を切れます。

その一方で、生活や仕事に余裕のない人ほど、多数の通知、広告、本人確認、複数アカウント、支援制度の申請に追われ、デジタルから離れにくくなります。デジタルに時間を奪われ続ける人と、お金や知識によってデジタルを背景へ退かせ、静かな時間を確保できる人。ここには、注意と静けさをめぐる新たな格差が生まれる可能性があります。

本稿では、これを仮に「アテンション・ディバイド」と呼びます。これは確立した政策用語としてではなく、検証すべき仮説としての呼び方です。経済的に豊かな人と貧しい人の格差だけではありません。自分の注意を何へ向けるかを自分で選べる人と、仕事、制度、広告、通知によって注意の行き先を決められてしまう人の格差です。

行政がカード、電話、紙、対面などの複数経路を残すことには、単なる高齢者対応を超えた意味があります。認知的な余裕を持たない人が、地域社会から脱落しないための福祉的なインフラになるのです。

PART 04

デジタルを背景へ退かせることの逆説

01 操作を減らすことと、仕組みを見えなくすることは違う

ここまで私は、成熟したデジタル技術は生活の前面へ出続けるのではなく、背景で静かに働くべきだと述べてきました。住民が何度も同じ情報を入力しなくても、行政内部で安全に情報が連携される。対象となる制度があれば、本人が複雑な申請をしなくても案内が届く。手続きの進行状況を何度も確認しなくても、必要なときだけ結果が伝えられる。このような仕組みは、住民の負担を減らします。

しかし、ここには大きな逆説があります。デジタルが完全に背景へ退き、何が行われているか分からなくなれば、住民は制度へ主体的に関わる機会まで失うかもしれません。何のデータが使われたのか分からない。

どのような基準で対象者と判断されたのか分からない。なぜ自分には案内が届き、別の人には届かなかったのか分からない。自動的に処理されて便利ではあるけれど、その処理が間違っているときに、誰へ申し立てればよいのか分からない。

それは、デジタルが背景へ退いたのではありません。統治の仕組みが、住民から見えなくなった状態です。イリイチの思想へ戻れば、人間的な道具とは、単に人間の代わりに仕事をしてくれる道具ではありません。人間の能力や自由を広げ、本人が自分の目的のために使える道具です。

操作しなくても暮らせることと、自分では何も選べないことは同じではありません。したがって、目指すべきなのは「完全自動化された行政」ではなく、普段は静かに働き、必要なときには開いて確かめられる行政です。日常的な操作は減らしながらも、本人が希望すれば、どのデータが利用され、どのような判断が行われたのかを確認できる必要があります。

自動処理を拒否すること、誤った情報を訂正すること、人間による説明や判断を求めることもできなければなりません。良いDXとは、人間から操作を奪うことではありません。操作しなくても暮らせる一方で、必要なときには仕組みを理解し、自ら介入できるDXです。

02 便利さが自己決定を奪わないために

SEE確認できる

どのデータが使われ、なぜその結果になったかを知る。

CORRECT訂正できる

誤った情報や判断を直す経路を持つ。

REFUSE拒否できる

自動処理や行動誘導を受け入れない選択を残す。

HUMAN人へ相談できる

機械だけで完結させず、人間による説明と判断を求められる。

行政サービスにおいて、本人の負担を軽くすることは重要です。しかし、負担を軽くすることと、本人の判断を不要にすることは異なります。たとえば、ある行政支援の対象となる人へ、制度の案内を自動的に届けることは有益です。しかし、「あなたにはこれが最適です」とシステムが一つの選択肢だけを提示し、その理由や他の選択肢を見えなくするなら、本人の自己決定を狭める可能性があります。

健康データを使い、本人へ運動や受診を勧めることもできます。しかし、数値によって「望ましい生活」が一つに決められ、本人の事情や価値観が無視されるなら、それは支援ではなく管理へ近づきます。電子地域通貨の利用データから、住民の行動を理解することもできます。しかし、そのデータを使って、行政や事業者が住民の行動を過剰に誘導するなら、便利さと引き換えに本人の選択が狭められます。データは、人間の生活を理解する補助線であるべきです。

人間の生活そのものを、システムが望む方向へ矯正する命令書になってはいけません。背景で働くデジタルには、同時に透明性、説明を受ける機会、拒否する選択肢、訂正する経路、人間へ相談できる窓口が必要です。これらは、サービスを複雑にする余計な機能ではありません。

人間が道具の主人であり続けるための非常停止装置です。

PART 05

公共のデジタルは、人を画面から退場させられるか

01 ダークパターンと反対方向の設計

民間のデジタルサービスには、人を長く滞在させ、次の行動へ誘導することで収益を得るものがあります。画面を下へ動かしても情報が終わらない無限スクロール、今すぐ決断しなければ損をするように感じさせるカウントダウン、拒否の選択肢だけを目立たなくする画面、何度も通知を送り続ける設計などです。OECDのダーク・コマーシャル・パターン報告は、利用者の意思決定を誘導し、操作し、本人の利益に反する選択をさせる可能性があるオンライン上の設計を「ダーク・コマーシャル・パターン」として整理しています。

公共のデジタルサービスは、この反対方向を目指せるはずです。行政サービスは、利用者の滞在時間を広告収益へ変える必要がありません。用事が終わった住民へ、さらに別の機能を勧め続ける必要もありません。

私は、こうした設計を「退場できるデザイン」と呼びたいと思います。公共のUXは、利用者をサービスへ迎え入れることだけを考えるのではありません。用事が済んだ人を、迷わず外へ送り出すところまで設計する必要があります。

PROCEDURE 手続きが終わったら閉じられる

完了と追加操作が不要であることを明示し、別機能へ誘導しない。

PAYMENT 決済後は現実の買物へ戻す

残高と取引結果を分かりやすく示し、アプリ内へ留め続けない。

HEALTH 確認後は歩くことへ送り出す

歩数を確認した後、端末を置いて現実の行動へ移れるようにする。

02 人を追い出すことも、新しい支配になり得る

ただし、ここでも注意が必要です。人を画面から解放するという理由で、行政側が利用回数を一方的に制限したり、一定時間アプリを使えなくしたりすれば、それも新しい管理になります。必要なときに使えない可能性があります。利用者がなぜその回数しか使えないのかを納得できないまま、行動をシステムに決められることにもなります。

デジタルによる強制から人を救うために、別のデジタル的な強制を加えてはなりません。必要なのは、利用を禁止することではなく、利用者が自分で距離を選びやすくすることです。通知の種類と時間帯を選べる。通常の情報はまとめて受け取れる。不要な通知バッジを表示しない。連続利用日数を競わせない。無限スクロールを置かない。用事が終わった後に、別の機能へ誘導しない。

そのうえで、本人が必要と判断したときには、いつでも利用できるようにしておきます。ハルネスとレッドストロームの「スロー・テクノロジー」は、効率性だけを技術の評価軸とせず、利用者の内省を支える設計の可能性を論じた研究です。単純に動作を遅くしたり、利用を禁止したりする思想ではありません。公共サービスに必要なのも、単純な遅さではありません。

人の注意を奪い続けず、必要なときには立ち止まって判断できる余白です。便利さと速さだけを競うのではなく、利用者が自分の意思を取り戻せる速度を選ぶことです。

03 足し算のDXと、引き算のDX

ADDITION足し算のDX

申請、決済、通知、ポイント、データ連携、AI提案など、できることを追加する。

SUBTRACTION引き算のDX

入力、画面、通知、アカウント、不要な判断を減らし、必要な権利と非常停止は残す。

これまでのDXは、できることを増やす方向へ進んできました。新しい申請機能を加える。決済機能を加える。通知機能を加える。ポイント機能を加える。データ連携を加える。AIによる提案を加える。それぞれの機能には目的があります。

しかし、機能が増えれば増えるほど、利用者が理解し、選び、管理しなければならないものも増えます。足し算のDXが限界へ近づいたとき、必要になるのは引き算のDXです。入力しなくてもよい情報を減らす。

開かなくてもよい画面を減らす。受け取らなくてもよい通知を減らす。覚えなくてもよいアカウントを減らす。

住民が判断しなくてもよい事務的な手順は、裏側で安全に処理する。一方で、制度の内容や本人の権利に関わる判断は、見えなくせず、必要なときに本人が確認し、介入できるようにする。この違いを身近な例えで説明するなら、エレベーターが分かりやすいと思います。

足し算のDXは、操作盤へ新しいボタンを増やし続ける発想です。健康、決済、交通、防災、申請というボタンを追加し、できることを増やしていきます。引き算のDXは、利用者が行き先を一度伝えれば、あとは機械が静かに運び、目的地で扉を開ける発想です。利用者を操作盤の前へ立たせ続けません。ただし、現在どこにいるかは表示されます。行き先は変更できます。非常停止ボタンがあり、機械が止まったときの階段も残されています。

背景化、透明性、自己決定、代替経路。この四つを同時に成立させることが、引き算のDXに必要です。

足し算のDXは、操作盤へボタンを増やします。
引き算のDXは、一度ボタンを押せば、人を目的地まで静かに運びます。
ただし、非常停止と階段は決して消しません。

PART 06

常時接続という空気と、地域社会の時間

01 返信しない自由は、規則だけでは守れない

デジタル技術によって、私たちは離れた場所から仕事ができるようになりました。時間や場所の制約が小さくなり、急な連絡にも対応できます。災害や感染症の流行など、対面で集まれない状況でも業務を継続できます。一方で、仕事をする場所が自由になったことで、仕事の時間が生活全体へ広がりました。

勤務時間外にもメールが届きます。夜にチャットの通知が鳴ります。休日にグループメッセージで確認が求められます。送った側は、「急ぎではありません」「返事は明日で大丈夫です」と考えているかもしれません。しかし、通知を受けた側は内容を見てしまいます。

内容を見れば、返信しなくても頭の中では仕事が始まります。対応方法を考え、翌日の予定を組み替え、返信し忘れないように記憶へ留めます。数分で返信できる内容であっても、生活から仕事へ意識を切り替えた時点で、休息は中断されています。「すぐ返信してください」と書かれていなくても、早く返す人が評価される組織では、即時返信が事実上の義務になります。

誰も明示的に命令していないのに、常につながっているのが当然だという空気が、人を拘束します。欧州議会は、勤務時間外に仕事上のデジタル通信から離れ、不利益を受けることなく連絡へ応答しない権利を、EU全体で保障するよう求めています。2024年には、欧州委員会が公正なテレワークとつながらない権利について、労使団体との協議を開始しました。重要なのは、端末の電源を切る自由だけではありません。

電源を切ったことによって評価を下げられず、重要な情報から排除されず、同僚へ負担をかけたという罪悪感を持たなくて済むことです。つながらない権利は、個人が通知設定を変えるだけでは実現しません。組織の側が、夜間や休日の連絡を減らすこと、予約送信を活用すること、緊急連絡と通常連絡を区別すること、即時返信を仕事への熱意として評価しないことが必要です。

さらに、管理職や中心的な立場にいる人が、勤務時間外に頻繁にメッセージを送れば、本人が返信を求めていなくても、組織には反応すべき空気が生まれます。制度よりも先に、立場の強い人の行動が組織の基準になります。つながらない時間を守るためには、個人の自己管理だけではなく、組織文化と運用の見直しが必要です。

02 地域社会にも「つながらない権利」が必要です

常時接続の圧力は、職場だけに存在するわけではありません。町内会、PTA、地域団体、イベント実行委員会、友人関係にも、グループチャットが使われます。情報共有は便利になります。会議を開かなくても意見を交換でき、急な変更も全員へ知らせられます。

一方で、メッセージを確認していない人が、「地域活動に関心のない人」「協力的でない人」と見られることがあります。既読が表示されるサービスでは、読んだのに返信しないことへ説明を求められる場合もあります。通知を切っている人は、情報を見ていない責任を負わされるかもしれません。地域活動は本来、住民の生活を支え、人と人を結びつけるためのものです。

しかし、参加するために常時接続を求めるなら、その地域活動自体が生活へ侵入します。地域社会DXを考えるとき、単に「全員がデジタルを使えるようにする」ことを目標にしてはいけません。使わない時間を持ちながらも、地域から切り離されないことが必要です。

重要な情報は、一つのアプリだけへ閉じ込めない。緊急情報と日常的なお知らせを区別する。すべての通知を即時に受け取る必要がない設計にする。住民が通知の種類や頻度を選べるようにする。そして、デジタル上で反応しないことを、無関心や非協力と解釈しないことが大切です。「登録していない人が悪い」「通知を見ていなかった人の責任だ」という空気が生まれれば、デジタルは地域参加の支援道具ではなく、参加資格を確認する装置になります。

地域社会がデジタル化するほど、つながらない時間を守る仕組みも必要になります。

03 すべての情報を、同じ速度で流さない

NOW直ちに届ける

災害、避難、生命や安全に関わる緊急情報。複数経路を使う。

TODAY決まった時刻に届ける

期限のある出欠確認、行事変更、業務上必要な連絡。

WEEKLYまとめて届ける

通常のお知らせ、活動報告、雑談、参考情報は電子回覧へ。

現在のグループチャットでは、災害情報、イベントの出欠確認、会議資料、忘れ物のお知らせ、雑談が、ほとんど同じ通知音で届きます。情報の重要性が違うにもかかわらず、流れる速度は同じです。その結果、利用者は、通知が届くたびに重要性を判断しなければなりません。

災害情報かもしれないため、端末を確認する。実際には、来月のイベントについての雑談だった。それが一日に何度も繰り返されます。ここで必要なのは、情報をすべて遅くすることではありません。情報の重要性に応じて、地域社会の時間を設計し直すことです。

生命や安全に関わる災害、避難、緊急情報は、複数の経路で直ちに届けます。期限のある出欠確認や行事変更は、一定の時間にまとめて配信します。通常のお知らせ、活動報告、雑談、参考情報は、週に一度の電子回覧板やダイジェストへまとめることができます。

即時に知らせるべき情報と、本人が時間のあるときに読めばよい情報を分けるのです。これは、通信を不便にすることではありません。住民の注意を、情報の重要性に合わせて守る設計です。

地域のデジタル連絡網は、すべてをリアルタイム化する必要はありません。いつでも連絡できるという技術上の可能性を、そのまま生活上の義務へ変えないことが重要です。

PART 07

脱デジタルは、地域のレジリエンスでもある

01 デジタルを使えない日は、誰にでも来る

デジタルサービスを設計するとき、私たちは正常に動いている状態を前提にしがちです。端末には十分な充電があり、通信回線は安定し、アカウントとパスワードを覚えており、サーバーは稼働しています。利用者の視力、聴力、指先の動き、認知状態も、サービスを登録したときと変わっていないことが暗黙の前提になります。しかし、現実には、どれかが使えなくなる日は必ずあります。

スマートフォンをなくすことがあります。端末が故障し、充電が切れ、通信障害が起きます。パスワードを忘れ、本人確認が完了できなくなることもあります。目が見えにくくなり、小さな文字が読めなくなるかもしれません。指先が動かしにくくなり、画面上の小さなボタンを押せなくなるかもしれません。複数の操作を順番に行うことが難しくなる可能性もあります。若い頃には問題なく使えていた人も、年齢や病気、事故、一時的な疲労によって、デジタルを使いにくくなることがあります。

デジタルを使えない人は、固定された特別な集団ではありません。私たち全員が、一時的あるいは将来的に、デジタルを使いにくい人になる可能性を持っています。だから、非デジタルの経路を残すことは、一部の高齢者への特別な配慮ではありません。

未来の自分を含めた、すべての住民への備えです。

02 アナログはデジタルの敵ではない

DIGITAL速さ・検索・連携

反復処理、速報、データ連携、遠隔利用に強い。

PAPER保存・一覧性・無電源

電源なしで読み返せ、手元に残せる。

PHONE相談・補助

文字入力が難しい人も、状況を言葉で伝えられる。

FACE TO FACE文脈・関係

表情や会話から、本人が言葉にできない困りごとへ気づく。

DXの議論では、紙、現金、電話、対面が、古く非効率なものとして扱われることがあります。確かに、紙の書類を何度も転記する仕事や、現金だけを前提とした複雑な精算、窓口で長時間待たなければならない仕組みは改善した方がよいでしょう。しかし、アナログであることと、非合理であることは同じではありません。

紙は、電源がなくても読めます。現金は、通信障害時にも使えます。カードは、スマートフォンの複雑な操作が難しい人でも利用しやすい場合があります。

電話は、文章入力が苦手な人でも相談できます。対面では、本人が言葉にできていない困りごとを、表情や会話から見つけられることがあります。デジタルとアナログは、どちらか一方を選ぶ敵対関係ではありません。

それぞれの強みと弱みを組み合わせる必要があります。平常時の処理はデジタルで効率化しながら、通信障害時にはカードや現金を使えるようにする。一般的な手続きはオンラインで完結させながら、複雑な相談については対面で対応する。速報性の高い情報はデジタルで届けながら、保存して読み返す情報は紙でも提供する。これは中途半端なデジタル化ではありません。

行政内部の転記や照合作業は、できる限り自動化すべきです。その一方で、住民との接点まで一つのデジタル経路へ統一する必要はありません。内部を効率化することで生まれた余白を、対面や電話を必要とする人へ返す。私が考える引き算のDXは、そのような二層構造です。

利用者の状況と目的に応じて、最適な手段を組み合わせる設計です。デジタル化によって消してよい無駄と、非常時や人間関係のために残すべき余白は同じではありません。本当に強い地域社会は、最先端の一つのシステムだけに依存する地域ではありません。

一つの手段が使えなくても、別の手段で生活を続けられる地域です。

03 デジタル一本化は、誰のための効率化なのか

行政や事業者が複数の手段を維持すると、費用と手間がかかります。そのため、デジタルへの一本化は、業務効率化として魅力的に見えます。しかし、ここで考えなければならないのは、誰の効率が高まるのかということです。

行政側の処理が効率化されても、住民が複雑な入力や本人確認を担うのであれば、負担を住民へ移しただけかもしれません。紙の受付を廃止して職員の作業を減らしても、住民が家族や支援者に操作を依頼しなければならないなら、地域全体の負担は減っていません。DXによって組織内の作業を外部化し、それを住民自身の作業へ置き換えることがあります。

利用者が自分で入力することで本当に便利になる作業と、組織の都合で利用者へ移された作業を区別する必要があります。地域社会DXでは、行政内部の処理時間だけでなく、住民、家族、地域の支援者まで含めた総負担を見なければなりません。一つの窓口業務を減らした結果、地域の高齢者が家族へ操作を頼む回数が増えたのであれば、そのコストは統計に表れにくいまま家庭へ移転しています。

デジタル化によって見えなくなった負担まで含めて評価する必要があります。

PART 08

CIO補佐官として、どのようなDXを目指すのか

01 デジタルを生活の背景へ退かせながら、権利は前景に残す

CIO補佐官としてDXに関わる私が目指したいのは、「デジタルを使わない地域」ではありません。デジタルが有効なところでは、積極的に使うべきだと思っています。人が何時間も行っている単純な転記作業は、自動化した方がよいでしょう。住民が何度も同じ情報を書かなければならないなら、情報を安全に連携した方がよいでしょう。

データによって地域の課題を正確に理解できるなら、活用すべきです。移動が難しい人が自宅から手続きできるなら、オンライン化には大きな意味があります。ただし、デジタルは生活の前面へ出続ける必要はありません。本当に成熟した技術は、人間へ頻繁な操作を求めず、背景で静かに働きます。

住民が意識しなくても必要な情報が正しく処理され、必要なときだけ分かりやすく確認できます。通知は、送れるだけ送るのではなく、送らなくてもよいものを減らします。データは、集められるだけ集めるのではなく、目的に必要な範囲へ限定します。

利用者へ頻繁なログインを求めず、一度の手続きで用事を終えられるようにします。しかし、デジタルの処理内容や、本人の選択権まで背景へ隠してはなりません。仕組みは静かに働いても、本人の権利は見える場所へ残す必要があります。

なぜこの結果になったのかを確認できる。誤りを訂正できる。自動処理を拒否できる。人間へ相談できる。別の手段を選べる。良いDXとは、すべてを見えなくすることではありません。普段は意識しなくても暮らせる一方で、必要なときには開いて確かめられることです。

02 DXの成果を「接続量」から「解放量」へ変える

01従来の接続量

登録者数、利用件数、アクセス数、継続率、通知開封率。事業の到達状況を知るためには必要だが、生活が豊かになったこととは同じではない。

02新たに測る解放量

返した時間、減らした入力・移動・通知・アカウント、軽減した認知的負担、残された代替経路と相談機会。

03成功の問い直し

利用率が高いかではなく、必要な人が迷わず使え、使わない人も困らず、用事の後に生活へ戻れたかを確かめる。

これからの地域社会DXでは、登録者数や利用率だけでなく、どれだけ人を解放できたかを成果として測るべきです。従来型の指標を捨てる必要はありません。登録者数、利用件数、継続率、処理時間、費用対効果は、事業を評価するために必要です。しかし、それだけでは、サービスが人間へ与えた影響を十分に捉えられません。

住民へ返した時間。職員へ返した時間。減らせた入力回数。減らせた窓口の移動。減らせた通知。減らせたアカウント。減らせた認知的負担。スマートフォンを持っていない人が受ける不利益。システム障害時にも利用できる代替経路。本人が自動処理を拒否し、人間へ相談できる機会。こうしたものも、DXの成果として評価する必要があります。

デジタルサービスを使った人数が増えたとしても、全員が操作へ疲れているなら、成功とは言いにくいでしょう。利用率が低くても、必要な人が必要なときに迷わず使え、使わない人も困っていないなら、十分に良いサービスかもしれません。行政サービスの目的は、アプリを成長させることではありません。

地域で暮らす人の生活を支えることです。利用者数が伸びないとき、「住民の意識が低い」と結論付ける前に、そもそも利用する必要があるサービスなのかを考えるべきです。既存の方法で困っていない人へ、新しい操作を覚えてもらうことが、本当に地域の利益になるのか。

新しいサービスによって住民の選択肢が増えたのか。それとも、古い選択肢を廃止するための移行作業を住民へ求めているだけなのか。使ってもらうための周知を強化する前に、使わなくてもよい設計へできないかを考えることも必要です。

03 小さく検証し、住民の時間を測る

この考え方を社会実装するためには、壮大な理念だけでは足りません。まず、一つの行政手続きや一つの地域サービスを対象に、住民が実際にどれだけの時間と注意を使っているのかを確認する必要があります。

DXの実証は、アプリが動くかどうかだけを確認するものではありません。住民の生活時間がどう変わったのかを確認する実験であるべきです。

STEP 1一つの手続きを選ぶ

壮大な全体構想ではなく、具体的なサービスから始める。

STEP 2見えない時間も測る

検索、書類探し、パスワード、再操作、家族への相談、問い合わせを含める。

STEP 3職員側の負担も測る

修正、照合、問い合わせ対応、説明時間まで確認する。

STEP 4削らない時間を決める

制度理解、選択肢の比較、人へ相談する時間は単なる遅延として扱わない。

EPILOGUE

おわりに――端末をポケットへ戻した後のために

私は、デジタルのない時代へ戻りたいわけではありません。デジタルによって救われた仕事も、つながった人も、見えるようになった地域課題も知っています。電子地域通貨によって、行政施策を住民へ迅速に届けられます。データを分析することで、地域の中で何が起きているのかを、以前より正確に考えられます。

オンラインサービスによって、距離や身体的な事情を越えて参加できる人もいます。AIによって、これまで一人では整理し切れなかった大量の情報を扱うこともできます。だからこそ、デジタルが人間の注意と時間を奪い続ける状態を、進歩とは呼びたくありません。朝起きて、最初に通知を確認します。

仕事中も、移動中も、食事中も、誰かと話しているときも、画面が次の行動を要求します。夜になっても、未読の数字や返信していないメッセージが頭に残ります。便利なはずの道具によって、自分の時間が自分のものではなくなっていきます。

セネカが問うたのは、人生が短いかどうかではありませんでした。私たちが、その時間を何へ明け渡しているのかという問題でした。ベルクソンが考えた時間は、時計に表示される数字だけではありません。人間が記憶を引き受け、新しいものを生み出しながら経験する、生きられた時間でした。

ソローは、人間が鉄道に乗っているつもりで、鉄道を支えるために人間が使われる逆転を疑いました。イリイチは、人間の能力を広げるはずの道具が、いつの間にか人間を受動的な利用者へ変えていくことを警戒しました。これらは、過去の文明へ向けられた古い批判ではありません。

私たちが今つくっているデジタル社会へ向けられた問いでもあります。私たちが導入しているアプリは、住民へ時間を返しているでしょうか。通知は、本当に必要な情報を届けているでしょうか。

データは、人間の生活を理解するために使われているでしょうか。それとも、人間がデータを生産するために行動を変えさせられているでしょうか。デジタルを使わない人は、地域社会の外側へ追い出されていないでしょうか。通信が止まり、端末が壊れ、アカウントへ入れなくなったときにも、私たちは生活を続けられるでしょうか。

デジタルが静かに背景で働くとき、その裏側で何が行われているのかを、私たちは必要なときに確認できるでしょうか。自動的に示された結果を拒み、人間へ説明を求めることができるでしょうか。本当に成熟したDXとは、朝から晩までアプリを使わせることではありません。

必要な手続きが静かに終わり、端末をポケットへ戻し、目の前の人や風景へ意識を向けられる状態ではないでしょうか。電子地域通貨で支払いを終えた後に、店員と少し話す。健康アプリを閉じた後に、外へ歩きに行く。

オンライン申請を終えた後に、家族との時間へ戻る。データ集計を自動化した職員が、住民の話をゆっくり聞く。地域の連絡を一日中気にせず、週に一度の電子回覧板を、自分の時間に読む。

デジタルを使う自由だけでなく、使わない自由も残します。つながる権利だけでなく、つながらない時間も守ります。効率化によって人間の時間を削るのではなく、人間へ時間を返します。

背景で静かに動く技術をつくりながら、本人の選択権と異議を申し立てる権利は、見える場所へ残します。地域社会DXの目的は、人間をデジタルへ囲い込むことではありません。人間がデジタルを忘れて暮らせる時間を、少しずつ取り戻すことなのだと思います。

デジタルの価値は、画面の中だけには存在しません。

デジタルを使い終えた後に、人間が何をできるようになったかに存在します。

CURRENT CONCLUSION

現時点での結論

脱デジタルは、DXへの反対ではありません。デジタル技術を全面的に拒絶することでも、紙や現金だけの社会へ戻ることでもありません。デジタル技術を、人間が主体的に距離を選べる道具へ戻すことです。

個人が通知を切るだけでは足りません。組織が勤務時間外の接続を当然としないこと、行政がアプリ以外の経路を残すこと、地域が端末を使わない住民を排除しないこと、サービス提供者が利用時間ではなく、人へ返した時間を評価することが必要です。デジタルを背景へ退かせるときには、その働きを完全に見えなくしてはいけません。本人が必要なときには、使用されたデータや判断の理由を確認でき、訂正や拒否、人間による説明を求められる必要があります。

公共のデジタルサービスは、人を画面へ引き留める必要がありません。必要な瞬間だけ役立ち、用事が済めば、利用者を現実の生活へ返す設計を持つべきです。地域の情報は、すべてを同じ速度で流す必要もありません。緊急情報は即時に、期限のある情報は一定の時刻に、日常的なお知らせは週ごとの回覧へまとめるなど、地域社会の時間そのものを設計できます。DXを進めるほど、脱デジタルの設計が必要になります。

便利な道具が生活の前提となり、使わない選択肢が失われれば、人間は道具の主人ではいられません。一方で、すべてのデジタルを遠ざければ、オンラインによって社会参加できていた人や、デジタルによって負担を減らせていた人から、新しい選択肢を奪うことになります。必要なのは、デジタルかアナログかという二者択一ではありません。

どの場面でデジタルを使い、どの場面で背景へ退かせ、どのような代替手段と自己決定権を残すのかを、地域ごとに考えることです。デジタルを使っているときにも、自分の時間を失わない。デジタルを使わないときにも、社会との関係を失わない。

人間が技術との距離を、自分で選ぶことができる。そのような地域社会を、私たちは設計できるでしょうか。完成した答えを示すのではなく、この問いを育てていきたいと思います。

REFERENCES

主な参考文献・参考資料

時間・技術・道具に関する思想

行政DX・アクセシビリティ

デジタルデトックス・接続・UI設計

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