経歴はあとから一本の線になる
高校卒業後の自衛隊、風力発電、法学、金融、商工会、NPO、税務、自治体DX。一見ばらばらな経歴を、老子・荘子・孔子・王陽明の思想を補助線に、経験の意味は後から形になるという視点で捉え直します。
曲がった道が、
あとから線になる。
老子・荘子・孔子・王陽明と考える、まっすぐではなかった私の歩み
曲則全、枉則直。
曲がるからこそ全うされ、たわむからこそ伸びる。
見取り図
01はじめに――私の道は、まっすぐではありませんでした
自分の経歴を人に説明するとき、どこから話せばよいのか迷うことがあります。高校を卒業して陸上自衛隊に入り、その後は風力発電の仕事を経験しました。社会に出てから大学と大学院で法学を学び、信用組合、商工会、日本語教育に関わるNPO、税理士事務所、自治体に関わる仕事を経て、現在はCIO補佐官として電子地域通貨や地域社会DXに携わっています。
履歴書に並べれば、それぞれは別の仕事です。自衛隊と地域金融、風力発電と法学、日本語教育と電子地域通貨には、直接のつながりがないように見えます。最初から現在の仕事を目指し、そのために必要な経験を計画的に積み上げてきたわけでもありません。
その時々で目の前にあった仕事を選び、自分から離れた場所もあれば、思うようにいかず離れざるを得なかった場所もあります。後から振り返れば転機だったと思える出来事も、その最中には、次に何が待っているのか分かりませんでした。
経歴は、歩いているときには一本の線に見えません。道が途中で切れ、別の方向へ曲がり、ときには出発した場所から遠ざかっているように感じます。
方向を変えることは、信念を捨てることではなく、歩き続けるためのしなやかさかもしれない。
一つの職場では使われなかった知識が、別の場所で人の言葉を理解する助けになる。
表面上の仕事が変わっても、制度と人間の間を見る問いは繰り返し現れていた。
現場で生まれた疑問を学び直し、得た知識を再び現場へ戻す。
老子は「曲則全」と述べました。これは現代の転職について直接語った言葉ではありません。それでも私は、まっすぐ進むことだけが自分を全うする道ではないという教えとして受け取っています。状況に応じて身を曲げ、進む方向を変えるからこそ、折れずに歩き続けられることがあります。
02事実と、後から見つけた意味
ここに記す職歴は、私が実際に歩いてきた事実です。しかし、それらの経験を一つの問いが貫いていたという理解は、現在の私が過去を振り返って立てた仮説です。当時から、自分の役割や進む方向を明確に理解していたわけではありません。
過去を振り返ると、人は出来事の間に意味を見つけたくなります。「あの経験は、このために必要だった」「あの失敗があったから、今の自分がある」と語れば、人生はきれいな物語になります。
しかし、当時の迷いや痛みまで、すべて現在に至るための材料だったことにしてしまうと、少し違うようにも思います。意味は最初から用意されていたものではありません。いくつもの経験を抱えながら今を生き、それらを次にどう使うのかによって、後から少しずつ生まれてくるものです。
すぐに役立つものだけで経験の価値を測らず、知ることと行うことを往復しながら歩きたいという考えも、いまの私が選んでいる価値判断です。これは完成した人生の総括ではなく、現在の地点から、自分が歩いてきた道を一度振り返るための記録です。
03経歴を、役職ではなく「受け取った視点」で振り返る
01陸上自衛隊規律、役割、命令系統と、一人一人の感覚
大きな組織が、共通の目的、役割分担、指揮命令によって動く仕組みを知りました。同時に、組織の目的と、そこで働く人の感覚の間に距離が生まれることも見ました。
02風力発電技術的な正しさと、地域の納得は同じではない
再生可能エネルギーは重要でも、風車が建つ土地には暮らし、風景、産業、生活の時間があります。優れた技術が、自動的に地域へ受け入れられるわけではありません。
03大学・大学院制度を読む法学と、制度だけでは捉えきれない現実
法学は、複雑な事実を整理し、誰の権利と責任がどこにあるのかを考える土台になりました。一方で、条文の整合性だけでは現場の問題を解けないことも学びました。
04信用組合数字としてのお金と、地域の関係を流れるお金
企業や事業を数字から見る感覚と、資金が仕入れ、人件費、生活費へ回ることで地域を支える感覚を得ました。
05商工会制度上正しい説明を、相手の商売の言葉へ置き換える
業種、規模、年齢、課題が異なる会員事業者へ、同じ説明を一律に渡すことはできません。相手がどこに不安を感じ、どの言葉なら自分の問題として理解できるかを考えました。
06日本語教育NPO制度の内側と、その外側に置かれる人
制度をつくる側の論理だけではなく、言語、文化、情報へのアクセスによって制度へ入りにくい人の視点を意識するようになりました。
07税理士事務所取引の入口から、証憑、集計、仕訳、決算までの線
一つの数字がどの資料から生まれ、どの処理を経て会計へつながるのかを見る感覚が、電子地域通貨の精算や未使用残高を考える土台になりました。
08自治体・CIO補佐官行政、住民、店舗、金融、システムの間を翻訳する
異なる制度、利害、専門用語が同じ現場へ集まります。どこか一つの正しさを押し通すのではなく、互いに理解できる形へ翻訳する役割が必要になります。
04組織の内側で、境界を見る
私は、どの組織にも属さず外側から批判してきたわけではありません。それぞれの組織の内側に入り、役割を担い、その組織の論理に沿って仕事をしてきました。ただ、内側の論理だけでは説明できないものが、いつも気になりました。
目的達成に必要な役割と、一人一人の感覚や生活は、どのように両立できるか。
制度の整合性を守りながら、規則の外側にこぼれる事情をどう受け止めるか。
高性能な仕組みを、誰の負担で、誰の暮らしへ、どの速度で入れるのか。
組織に完全に染まりきるわけでもなく、外から冷笑するわけでもありません。内側で仕事をしながら、組織と個人、制度と現実、技術と地域の境界を見る。その立場は、ときに孤独です。どちらの側にも完全には立てないからこそ、双方の言葉を聞き、翻訳しなければなりません。
老子のいう「曲がる」は、信念を持たずに流されることではありません。組織の中で折れずに働きながら、自分の内側に小さな余白を残すための、しなやかな防衛線なのかもしれません。
05「役に立たなかった経験」は、本当に無用だったのか
人皆知有用之用、而莫知無用之用也。
人は誰もが、役に立つものの働きを知っています。しかし、役に立たないものの働きを知りません。
荘子のいう「無用」は、何もしないことを単純に称賛する言葉ではないと思います。人間が決めた一つの物差しだけで、物事の価値を判断することへの疑いです。
ある職場を離れたとき、そこで得た経験が無駄になったように感じることがあります。学んだ知識を直接使わない仕事へ移れば、遠回りをしたようにも見えます。自分が関わってきた組織や事業を離れれば、積み重ねてきたものまで消えてしまったように感じます。
それでも、ある場所では使われなかった知識が、別の場所で人の言葉を理解する助けになることがあります。失敗した経験が、同じように場所を失った人へ、性急な正解を押し付けない態度をつくることもあります。
自衛隊で見た組織の論理は行政や企業を考えるときに残り、風力発電で感じた技術と地域の距離はDXを考えるときに顔を出します。法学で学んだ制度の構造は、法律の条文だけでは捉えられない現場の問題を整理する土台になっています。
経験の価値は、その仕事をしていた期間だけでは決まりません。役に立たないように見えた時間にも、まだ見えていない働きがあるのかもしれません。
06電子地域通貨の現場で、過去の経験がつながった
過去の経験が一本の線として見え始めたのは、電子地域通貨の事業に関わるようになってからでした。電子地域通貨は、システムを導入すれば動く事業ではありません。加盟店、住民、自治体、金融機関、商工団体、システム事業者が、それぞれ異なる言葉と不安を持っています。
MERCHANT COMMUNICATION商工会の経験――店舗の言葉へ翻訳する
店頭では何をするのか。売上はどう確認するのか。現金と何が違うのか。トラブル時はどこへ連絡するのか。機能ではなく、店舗運営の流れとして説明します。
ACCOUNTING税理士事務所の経験――数字の経路を追う
利用、集計、確認、精算、手数料、未使用残高、会計処理を一つの線として捉え、資料同士の数字を突き合わせます。
REGIONAL FINANCE信用組合の経験――地域の資金循環を見る
利用額や残高をシステム上の数値だけでなく、店舗の仕入れ、人件費、生活費へ回る地域のお金として考えます。
LEGAL STRUCTURE法学の経験――制度と責任を整理する
発行者、運営者、加盟店、利用者、ベンダーの関係と、資金・情報・責任の境界を言葉にします。
PUBLIC SERVICE自治体の現場――施策と住民サービスへ接続する
予算執行で終わらせず、誰へ届き、どこで使われ、地域や住民の行動がどう変化したかをデータと対話から確認します。
TRANSLATION一つの専門だけでは解けない問題を翻訳する
同じ電子地域通貨でも、住民、店舗、自治体、金融機関では必要な説明が違います。専門用語を、それぞれが判断できる言葉へ置き換えます。
そこで初めて私は、専門を持たなかったのではなく、一つの専門だけでは解けない問題の周囲を歩いてきたのかもしれないと思いました。私の仕事は、どこか一つの領域に居場所を定めることではなく、領域と領域の間で、互いに異なる言葉を翻訳することなのかもしれません。
07手元にある情報から、次の一手を考える
電子地域通貨の事業では、想定していなかったトラブルも起こります。数字が一致しない、決済が正しく反映されない、説明と動作に違いがある、制度上は整理できていても現場の運用では別の問題が生まれる。そのたびに、最初から答えが用意されているわけではありません。
確認済みの情報と、推測を分ける。
どこまで動き、どこから変化したかを見る。
誰の画面で、どの操作をしたときに起きたかを確認する。
システム、精算、会計のどこに差があるかを比べる。
過去の事例を答えではなく、次の確認点を得る足場として使う。
この力は、何か一つの資格を取った瞬間に身についたものではありません。異なる職場で異なる問題に向き合い、そのたびに分からないことを調べ、人へ聞き、自分なりに考えてきた積み重ねの中で、自然と身についていったものだと思います。
経験は完成した答えを与えてくれるわけではありません。しかし、何を確認すべきか、誰に話を聞くべきか、どの情報を疑い、どこから考え始めればよいのかを教えてくれます。経験とは、答えの倉庫ではなく、未知の問題へ向き合うための足場なのかもしれません。
08仕事は変わっても、問いは変わらなかった
吾道一以貫之。
私の道は、一つのものによって貫かれています。
この言葉は、本来、職業人生の一貫性を語ったものではありません。孔子が席を外した後、曾子は「夫子之道、忠恕而已矣」と述べています。それでも、表面上は異なる行為や役割の中を、一つの原理が貫いているという考え方は、自分の経歴を振り返る補助線になります。
組織の目的と、一人の人間の感覚は、どのように共存できるのか。
技術的に正しいことを、地域の納得と暮らしへどう接続するのか。
数字と制度の向こうにある、事業者と生活者の現実をどう理解するのか。
精密な制度と、制度だけでは処理できない現場の複雑さをどう整理するのか。
制度の内側へ入れる人と、言語や文化によって外側へ置かれる人の間をどうつなぐのか。
行政、住民、店舗、金融、技術が異なる言葉を持つ中で、共通の仕組みをどうつくるのか。
経歴を一本の線にするのは、職種の共通性ではありません。その下に流れている問いの一貫性なのかもしれません。
09現場で知り、知ったことを現場へ戻す
知是行之始、行是知之成。
知ることは行うことの始まりであり、行うことは知ることの完成です。
知而不行、只是未知。
知っていながら行わないのであれば、それはまだ本当に知ったことにはなりません。
王陽明は、知識を身につけ、その後で実践するという単純な順番を説いたのではありません。知ることと行うことは切り離せず、行為の中で知識が確かめられ、深められると考えました。
私も、完成された専門家になってから現場へ出たわけではありません。現場で分からないことに出会い、そのたびに法律や制度を調べ、過去の経験と照らし合わせ、また現場へ戻ってきました。
電子地域通貨について法律を読んで終わるのではなく、実際の運用、会計、店舗、住民の行動へつなげます。データを分析して終わるのではなく、施策や地域の対話へ戻します。実際に動かすと、机上では見えなかった問題が現れ、その問題によって、理解したつもりだった制度をもう一度学び直すことになります。
実践を伴わない知識は現場で役に立たないことがあります。一方で、考えることなく動き続ければ、目の前の仕組みを疑う機会を失います。知ることと行うことの間を往復する。その往復そのものが、私にとっての学び方だったのだと思います。
INQELTAも、書斎の中だけで問いを考える場所ではありません。現場で生まれた違和感を言葉にし、思想や研究によって考え直し、得た視点を再び現場へ戻すための場所です。
10経験よりも、人が残った
過去の仕事から現在へ持ってきたものは、知識や技術だけではありません。それぞれの場所で出会った人たちがいます。仕事の進め方を教えてくれた人、厳しい言葉をかけてくれた人、失敗したときに支えてくれた人、場所を離れた後も関係を続けてくれた人がいます。
具体的な知識だけでなく、問題の見方、仕事の姿勢、相手への向き合い方を受け取りました。
場所や肩書を失っても、自分自身まで空白になるわけではないと教えてくれました。
一人では知ることのできなかった制度、産業、文化、地域の言葉を知る入口になりました。
現在の仕事で分からないことに出会ったとき、相談できる関係や、かつて交わした言葉が判断を支えています。
経歴を職務の一覧として見れば、仕事を変えるたびに、それまでの場所から離れてきたことになります。しかし、人との関係まで、すべてそこで途切れたわけではありません。むしろ、異なる場所を歩いてきたからこそ、異なる世界の言葉を知る人たちと出会うことができました。
自分一人で複数の専門を身につけたのではありません。さまざまな現場で人と出会い、その人たちから少しずつ知識や視点を受け取り、いまの自分が形づくられています。過去の経験が現在の私を支えているというより、正確には、過去の経験の中で出会った人々が、いまの私を支えてくれているのだと思います。
11おわりに――まだ線の途中にいる
老子は、曲がるからこそ全うされると語りました。荘子は、すぐに役立つものだけが価値を持つのではないと問いかけました。孔子は、異なる行為の中を貫く一つの道を語り、王陽明は、知ることと行うことを切り離しませんでした。
私の経歴は、完成した成功物語でも、一つの専門をまっすぐ掘り続けた道でもありません。異なる現場を移動し、そこで分からないことに出会い、問いを拾い、考えたことを再び現場へ戻してきた道です。
電子地域通貨の現場では、商工会で培った事業者との対話、税理士事務所で見てきた会計の流れ、信用組合で学んだ地域の資金循環、法学で身につけた制度を読む視点が重なりました。トラブルが起きたときには、経験が完成した答えではなく、何を確かめ、誰へ聞き、どこから考えるかを教える足場として働きました。
一つの専門を極める人には、なれなかったのかもしれません。
けれど、一つの専門だけでは解けない問題の間を行き来し、それぞれの言葉を翻訳する人にはなっていました。
その役割も、私一人の力で得たものではありません。異なる現場で出会い、教え、支えてくれた人たちとの関係が、ばらばらだった経験を現在の仕事へつなげてくれています。
INQELTAは、完成した専門家が答えを教える場所ではありません。異なる現場を歩いてきた一人の人間が、まだ結論の出ていない問いを調べ、考え、言葉にし、再び実践へ戻していく場所です。
私の経歴が本当に一本の線になっているのかは、まだ分かりません。一本に見えている線も、これから先でまた曲がるかもしれません。それでも、まっすぐではなかった道の上で拾ってきた問いと、そこで出会った人たちとの関係を手放さず、知ることと行うことを往復しながら、これからも歩いていきたいと思っています。
REFERENCES
参照した原典
老子・荘子
孔子・王陽明
古典の日本語引用は、公開原文を確認したうえで、本稿の文脈に合わせて筆者が訳したものです。既存の邦訳をそのまま転載したものではありません。
経歴を貫く「問い」が存在するという理解は、現在の筆者が過去を振り返って立てた仮説です。本稿は筆者個人の経験と問題意識に基づく考察であり、過去または現在所属する組織や関係団体の公式見解を示すものではありません。